加東「稲葉くん、折り返しの電話、ありがとう。忙しいって聞いていたのに、何度も電話してごめん。」

宮口と会った日の夜、稲葉が電話をかけたのは加東だった。
ここ数日、稲葉は加東から何度か着信があったことを認識していたのだが、タイミング悪く電話に出られない日が続いていた。

稲葉「加東くん、なかなか出られなくてごめん。何かあったの?」
加東「紹介したい案件があって電話したよ。稲葉くんなら、興味があるんじゃないかと思って。」
稲葉「どういう案件?」
加東「稲葉くん、単刀直入に言うけど、独立しない?僕と共同で事務所をやってみないか。」

稲葉は思わず目を丸くした。
稲葉光一(いなば こういち)。入社6年目、宮口と同様、入社当初よりアドバイザリー部門に所属している。日本基準だけでなく米国会計基準やIFRSなどの会計アドバイザリーの業務を主に担当しており、自身もかなりの勉強熱心であることから、同期からは“歩く辞
書“と呼ばれているような存在だ。

稲葉「なんだか急な話でびっくりしたよ。加東くんは確か副業中だったでしょう。一体何があったの?」
加東「お陰さまでそれなりの反響をいただいていて、副業の方は安定しているよ。“会計士.job”っていうサイトに掲載されているから、良かったら今度読んでくれると嬉しいな。・・・それとは別件だよ。僕の幼馴染が知人数人と会社を立ち上げたんだけど、税務顧問を探すのに苦労しているらしいんだ。自治体からある程度紹介されたりすることもあるらしいんだけど、どうやらそりが合わないらしくて。それで、僕に相談してきたんだ。僕も誰かと共同で事務所を立ち上げられるなら、独立してみるのもいいかなと思えてきて。」
稲葉「そういうことか。でも、何で僕を誘ってくれたの?」

加東はにかっと笑ってから言った。

加東「稲葉くん、“歩く辞書”でしょ。それに、僕は知っているよ。お父さんが税理士で開業されているんだよね?稲葉くんも税務知識がそれなりにあるだろうなと思って。」
稲葉「買いかぶりすぎだよ。父は確かに税理士で開業しているけれど、だからって僕は税務が詳しいという訳じゃないし・・・。」

加東「でも、興味はあるよね?」

今日の加東は稲葉のこれまでの彼へのイメージを覆すほど積極的だった。ということは、よほどのチャンスなのかもしれない、と稲葉は直感で思った。

稲葉「税務はゆくゆくは手掛けたいと思っていた分野ではあったんだけど、監査法人にいると税務はできないから、まだ先のことかなと思っていたよ。でも、どうやら今がそのタイミングみたいだね。もちろん興味はあるよ。」
加東「じゃあ、決まりだね。これから忙しくなるけど、よろしくね!」

数日後、稲葉の家の郵便受けに、税理士登録のための必要書類リストが送られてきた。
どうやら加東が調べて作成したようだ。登録のための手順書まで分かりやすく書いてあった。
かくして、二人は税理士法人の立ち上げに向けて、動き出すこととなった。

数か月後。
志村「え~っ。それで、二人は税理士法人の共同経営者なの!?」

7人は今日もあんこう鍋店に集合していた。

加東「うん。まだまだ顧客を増やしていかないといけないけれど、幼馴染が経営している会社が子会社を設立したり、取引先を紹介してくれたりしているので、徐々にと思っているよ。」
木村「それはそうと稲葉の奴、まだ仕事してるのか?加東はもう来ているのに、相変わらずだな。」
千秋「いつものことだから仕方ないんじゃない?あたしは、子供をダンナに預けてギリギリセーフ!たまにはこういう日があってもいいよね。」
宮口「偉いと思う。なんだかんだで母親業と仕事を立派に両立させているもんな。」
三船「そんなお前もCFOだろう?ほんとすごいよ。いつの間に。」

入口でばたばたと音がし、稲葉が転がり込んできた。

稲葉「ごめんごめん、今日はちゃんと来るはずだったのにな。」
加東「待ってたよ。これで全員揃ったね。」

7人は久々の全員での再会を喜び、新鮮なあん肝に舌鼓を打った。
それぞれの道に進もうとも、こうして必ず皆で一同に会することができる。
口には出さなかったが、一生の付き合いになると誰もが感じずにはいられない時間だった。

そして、7人の物語はこれからも続いていく・・・・。